'75年、10月Nashville その1 野坂秀樹
今を去ること正味30年、私は初めてアメリカに行ったのでした。目的はNashvilleのCMA DJ Convention。これは本来全米のカントリーDJを一堂に集めて書くレコード会社がライブを行い
DJにインタビューの機会を与えるという趣旨から始まったもので、そのイヴェントのハイライト
がおなじみのCMAアワードの授賞式なのでした。このツアーの主催者は今は亡き飯塚文雄さん、
同行者にはエルク楽器の社長(というより我々Steel Guitaristにとって憧れの存在だった)の山田さん、サンシャイン・ミュージックの社長で
名フィドラーの鈴木さん、Wild Onesの鳥塚氏、当時ビクター・レコードのLA駐在員で私のバンドの前任のSteel 奏者の遠藤氏(この人は、そりゃ〜凄かったですよ)そしてPickin' Clubではおなじみのライス加藤などがおりました。宿泊したのはHoliday Inn Capital Hillsといういわゆるモーテルに近いものでしたが、そこが大変なところだったのです。
それにしても30年前の事を昨日のことのように覚えているのは、それだけ印象が強烈だったのですね
B最初の朝にそのホテルのコンファレンス・ルームのなにやら慌しい様子に覗いてみると、
楽器のセッティングやら椅子の運び込みで何かイヴェントがされる模様。
その頃は何のことかわからなかったのでお目当ての核レコード会社のショーを見に
ミニンシパル・オーディトリアムに行ってしまったのですが(このショーでReba Mackentireのデビュー直後の姿を見る)あまりのショーの連続でホテルに
一時退却した私達の目の前に出現したのは、初めて目にするSteel Guitar Showとセミナーでした。ライス加藤(1年弱7前に私がSteelを始めた時に
それこそ手取り足取り教えてくれた恩人です)はそれ以前からJeff Newmanと文通しており、彼の教材を入手していた(私これが全てのスタートでした
jので、Jeffとの出会いは一寸感動的でした。Jeff:『君がShizumi(ライスの本名)か!』、
ライス:『ニコニコ、、、、、、、サンキュー』、、、言葉の一方通行です。
そうするうちに始まったのがなんとBuddy Emmonsのショーでした。本当に信じがたかったです。思わずIndianaをリクエストして
しまいましたが、ちゃんとやってくれました。
Sweet Georgia Brownをやったのは憶えているし、なんとFaded LoveをC6thでやったのも憶えています。このときはカセット録音したのでしっかり
記録として残っていたのですが、いつか紛失してしまいました。この Faded Loveの音は今でも誰かが持っていれば聴きたいなと思います。このときに
私が取った写真が日本フォノグラムで再発されたSteel Guitar Jazzのカヴァーに使われました。このときのショーに出たのが、John Hughey, Hal Rugg, Speedy West, Billy Bowman(B Bowman Hopの作曲者)、後は忘れた。
Jimmy Crawfordは遊びにきていて、Buddyからしきりに“俺のギターで弾けよ”
と誘われていましたが、弾きませんでした。それから驚いた事に、かなりセッションが進んで、
一段落してリード・ギターが休みたいと言い出したら、私達の一行に“誰かギターを
弾いてくれないか”って恐ろしいことを言い出すんです。それにしても、それまであまり
日本人なんか見たことはないでしょうから、その頃は今よりもっとマニアックだったに違いないSteel Showの観客に日本人が大勢でいるというのは異様に映っただろうな。